14、刑事弾圧反対闘
1962年8月下旬、田辺市で和教組定期大会が開催され、執行部は全員田辺の旅館で宿泊していた。突然侵入してきた警官達は、岩尾執行委員長以下執行部を逮捕した同日、真砂町の和教組本部も手入れされ会計書類、会議録など全部押収された。和歌山地検、県警、県教委は連携して和教組撲滅を狙っていたのである。同年6月4日午前中、県教組執行委員会が開催され「勤務評定抜き打ち実施抗議を含め一斉休休暇闘争を組む」という議案を満場一致で可決決定した。更に同日午後開催された県委員会(和教組の大会に次ぐ決議機関)でも、満場一致て同議案を可決した。県警は、この日の出席者の名簿を重視した。私は執行委員の一員として出席名簿に記名していた。当時、和教組は市内から出席した委員には交通費を払わず、日当とし一日30円を支給していた。会計係書記に30円を催促すると、池田書記は「先生は日から山形県上山市で開催される日教組定期大会並びに前日開催の各部総会に出席されるので日教組旅費規定により出発日も日教組から日当が支給されます.従って執行委員会の日当30円は支給しません」という。「ケチじやのう、では大金を和教組へ寄付するわ」とつぶやき、執行委員会出席の名前を二本の線で消した。県警はこの出席名簿を唯一の資料として逮捕したので、私は30円受け取らなかったので逮捕を免れた。
執行委員会出席者で逮捕され起訴されたがむ無罪判決を受けたものがいる。東牟裏支部書記長惣坊氏てある。惣坊も出席名簿に名前を書いたが、印鑑は書記次長が県委員のもまとめた代理印を押して旅費を受け取り支部に帰って皆に分配する習慣になってたので、裁判長は惣坊自身が旅費を受領したものと認めることが出来ず、無罪判決となったものである。惣坊は刑事弾圧は免れたが行政弾圧て他の執行委員とともに免職処分を受けた。県教委は資科不足でも勝手に処分をする。地検は裁判て勝利すると確信がないと起訴出来ないことが判明した。県警は逮捕した者を和歌山西警察署、東警察署、海南警察署、岩出警察署、粉河警察署などに分けて留置した。私は東警察署の裏に回った。留置場が裏にあること.を知っていた。警察署の裏は田圃である。田圃に立って大声で「北条頑張れ皆が応援しているぞ」と叫んだ。すると制服私服の警官がぞろぞろ出てきて私は包囲された。「大声を出すな騒音妨害た」という。「何をこれが地声だ。拡声器は使用していないぞ。地声を取り締確まる法律でも出来たのか県条令でも出来たか」「いや、其はまだだ」「其なら俺が何をしやべろうと又句を言うな」「付近の住民が迷惑する」「ここは田園の真中た住民などおらぬではないか」「この野郎捕まえる」と誰かが命令するとワ一とばかりに十数名の警官に捕えられ警察著の玄関まで運行された。「単独行動た。行過ぎは控えよう」と考えた。玄関で釈放されたので再度田圃へ行くのを取り止め、帰宅した。数日後、北条書記長が釈放されて出てきたので「4日の夜の激励は留置場内まで聞こえたか」と専ねた「うん、よく開こえた、貴様大胆だのう。よくまあ逮捕されなかったものだ」と呆れていた。
和教組は執行部が全員逮捕されたので業務が停滞する。そこで第二執行部を編成することになった。私は第二執行部にも参加した.8月26、27、28日の三日間全員勤員を指令した。5千人以上の組合員が和歌山に集結した.全員で市内をデモ行進した。特に警察著付近てばジグザグデモを展開した。私は先頭に位置して「ワッショイ、ワッショイ」とアジッた。警察は大きなマイクて「先生方ジグザグを中止して真直ぐ歩いて下さい、デモは条令違反です」と制圧を図って来た.私は「何をこの野郎」と急に腹が立ってきた「街宣車マイクを貸せ」と街頭宣伝車のマイクを借り「皆さん弾圧に屈ぜず頑張りましょうジグザグテモはデモの常識です。真直ぐ歩いたらお葬式になります。ジグザグでやりましょう。ワッショイワッショイ」と気合いを入れた.デモ隊は元気を取り戻し再ぴジグザグを始めた。私もデモ隊に参加して「ワッショイ、ワッショイ」を繰り返した.西警察前を終わると東警察署前に回り同様にデモった.第二執行部では上岡委員長も峰書記長も街頭には出す、デモ隊の指棒は私と岸青年部長と盲学校の井関先生が担当した。
9月に入ると毎日警察署長から出頭督促の葉書が来た。「OO日午前九時までに西警察署まで出頭されたし」と書いてある。私の自宅は東砂山町にあり郵便配達はいつも午後三時過ぎである。「午前九時に出頭せよという葉書が午後三時過ぎ配達されて、どうして出頭すれば良いのか。これは警察一流の威嚇戦術に違いない」と思い放置しておいた。二、三日後顧問弁護士から電話があり「打ち合わせに本部に出頭せよ」という。和教組本部に出てみると井関君にも岸君にも同様の出頭命令書が来たらしい。中谷弁護士いわく「すでに君たち三人に逮捕状が出ている。出頭拒否するとすぐ逮捕される。今なら任意出頭に応じたとなり逮捕されない。ここで三人が逮捕されたら再び抗議デモをやらねばならなくなる。和教組も組合負も疲労困憊だ。君たち意に反するかも知れないが任意出頭に応じて、黙秘戦術て戦ってくれないか。委員長からもお願いだ」と。三人は相談して翌日、西警察署に出頭した。早速、別々に取調室に入れられた。私の担当刑事は五十過ぎのおとなしい刑事であった。机を隔てて向かい合った刑事の前には調書が置かれ「住所氏名生年月日」を尋ねてきた。弁護士から「これには正直に答えなさい。答えないと逃亡の恐れありとされ、すぐ逮捕されるから注意しなさい」といわれていたので、間われるままに答た。私から雑談として「刑事さんお子さんおりますか」「男子ばかり三人います」「お子さんに刑事の仕事を継がそうと思いますか」「とんでもない刑事なんて。私一代で終わりにします.靴をすり減らすだけの仕事はもう御免ですよ」「そうでしょう。私には男一人、女一人子供がおりますが、私は本人が希望すれば教師という職業を継がしますよ。刑事と教師とでは雲泥の相違ですね。さあどこからでも調べて下さい」
(私はこれで優位に立ったとうぬぽれた。しかし、これは少々甘かった。刑事の取り調べは用意周到て質問は要点を突いてきた。)
「あなたは8月の休み中、家を出たことがありますね」「あります」「そのとき大勢と一緒に行動しましたね」(そらお出でなすった。)「黙秘」「大勢と行動したとき、あなたは大勢の列の先頭、真中、後尾のうち先頭に居ましたね」「黙秘」「この写真はあなたですね」(刑事は一枚の写真を見せた。それは私デモの隊列の中で汗をふきながら歩いている写具であった)
「これが私だと刑事さんは言うのですか。」「違いますか。あなたてしょう」「違いますよ」「違う?あなた自分の顔ぐらい知っているでしょう。」「刑事さんあなたは自分の顔を知って居ますか」「知っていますよ」「どこて見ましたか」「毎朝顔を剃るので見ていますよ」「これは不思議。鏡に写っている顔ば左右反対てしょう。鏡に同かって右目を瞑ってご覧、左目でしょう。人間は自分の顔て見ることが出来るのは鼻の先だけですよ、こうしてご覧。」顔をしかめて鼻先に視線を向けた。「ほらこの先だけしか見えないでしょう。調書を書くのなら書きなさい。『刑事は一枚の写真を被疑者に見せこれはあなたです』と強制したと」「いえ強制などしていませんよ」
次に刑事は私が街宣車のマイクで動員者に気合いを入れている写真を見せ「この写真はあなたがジグザグはデモの常識です。まっすぐ歩くとお葬式になると言いましたね」と質問しきた。
「刑事さんあなたは映画の作り方を知って居ますか」「知って居ます」「知っておれば話が早い。映画は先に写真を撮影影しておいて後でスクリーンに映写しながら、口の動きに一致させて声を出し、これをフイルムの端に線の幅で録画してフイルムを完成する。映画館でこのフイルムを映写機にかけると光電管の作用で声に再生される。声を出すのに、これだけの苦労が必要だ。警察は普通の写真一枚を見せて被疑者に「あなたは、しかじかかくかく」としやべったと強制してもそうはいきませんよ」「あなたはいやに詳しいね」「私は軍隊で通信中隊長を勤めていたので、電話機という軍事機密の兵器を研究、兵隊達に教育していたから光電管の原理くらい常識だ。刑事さんも、ここまで詳しくは知らないてしよう」「参りました」
ここで刑事が交代した。二人目の刑事ば見た目にもペテランらしく「先生、大変博学だそうですね、この辺て休憩にしましょう、番茶ですがどうぞ」と茶を茶腕に注ぎ自分も飲みながら私にも勧めてくれた。調度、咽が乾いていたので一気に茶を飲んだ。
「刑事さんティッシュありませんか」「ありますよ、ティッシュをどうするのですか」「見ていて下さい」もらったティッシュを飲み残した茶に浸して、茶腕の上縁と周囲をふきだした。「それ何をしているのですか」「茶を欽んでそのままにしておくと警祭は鑑識に茶腕を回して指紋と血被型を採集するから、それをやられないようにこうして指紋と口をつけた箇所を奇麗にしておくのだ」「先生そこまで心配しなくても結構ですよ」「刑事さん六法全書を貸して下さい」「六法をどうするのですか」「憲法の基本的人権の条文と刑事訴訟法の条文を見ながら取り調べを受けたい」「それなら心配要りません。自分はそれらの条文でしたら全部暗記しています。何条と尋ねて下さい。即座に答えますから」「とんでもない、昔から泥棒と刑事はうそつきの名人といわれている。私が尋ねて刑事が答えた法律を信用して調書をとられ、裁判であれば虚だったと判明しても後の祭り。犯人にされてしまう。
私は六法の活字以外は信用しないことにしている」「六法はありません」「ほらすぐ嘘を言う。先日署長室に来たとき署長の椅子の後ろの書架に刑事関係の法律条令が入っていたぞ」「先生は署長と知己ですか」「署長は知己ではない。次長なら私の妹の家の家作人で毎晩貫い風呂に来ているよ」「解かりましたもう一度、探してきます」
刑事は席を外して間もなく六法全書を持参した。六法を机上に置き「刑事さん、ついでに楊枝かマッチを二、三本ください」「楊枝をどうするのですか」「見ていて下さい」
私は楊枝を六法に突き刺し一枚一枚紙を捲った。「それ何をしているのですか」「唾をつけて指で捲れば血液型と指紋を採集されるからねえ。面倒たが楊枝で捲れぱそれを防止出来る。刑事さん、これは証拠隠滅罪に相当しますか」
(この間、一枚抜けているようです。私がコピーするときにどうかしたのかもし
れません。………雑賀)
和教組50年写真集P44
和教組第41回定期大会で特別発言する永田一視さん
落ちた蚊を指した」「蚊たったのか、どうもありがとう」私は「勝った』と心中で叫んだ。しかし警察から検察庁へ送検された。検察庁から間も無く出頭命令書が郵送されてきた。中谷弁護土が付き添いで検察庁へ出頭した。流石検事です、要点を突いて質問してきた。結局「起訴猶予」となった。県教委は「起訴猶予は犯罪事実が存在したこと明白」として「昇給延伸三カ月」の行政処分を発表した.日教粗の救援規定が適応され実害は免れた。逮捕された執行部は起訴され、一審判決で有罪となり高裁、最高裁で無罪を勝ち取った。更に行政処分の「免職」も和解成立で処分取り消しとなった。もちろん履歴書は汚さずに済んだ。馬鹿を見たのは我々三人で、昇給延伸は和解の項目から外されたので行政処分はそのままとなり、組歴書を汚したままとなってしまった。別の職業に就くとき行政罰を受くとかくのが嫌。
作戦要務令綱領第九
敵ノ意表ニ出ヅルハ機ヲ制シ勝ヲ得ルノ要道ナリ。故ニ旺盛ナル企図心ト追随ヲ許サザル創意ト神速ナル機動トヲ以テ敵ニ二臨ミ、常ニ主動ノ位置ニ立チ、全軍相戒メテ厳ニ我ガ軍ノ企図ヲ秘匿シ、困難ニナル地形及天候ヲモ克服シ、疾風迅雷敵ヲシテ之ニ対応スルノ策ナカラシムルコト緊要ナリ。
作戦要務令綱領第十一
典命運用ノ妙ハーニ其ノ人ニ存ス。宜シク工夫ヲ積ミ創意ニ勉メ以テ、千差万別ノ状況ニ処シ之ヲ活用スヘシ。
孫子一九八
「兵有五名一曰(いわく)威強、二日軒 三日剛至 四日食忌 五日重柔(戦いでは相手の性格を見抜き対応せよ.)1驕慢な相手には軽くあしらえ 2威きり立つ相手には時間を稼ぎ敵の精力を消耗させよ 3独善的な相手には煽て上げこちらのべ一スに引き込め 4食欲な相手には際を見せ相手を引き出し、動きの取れない所へ迫い込め 5見かけ倒しの相手には軽く脅し反応を見て出てきたら撃滅し出てこなければ包囲繊減すべし)
私の刑事弾圧反対闘争は常に作戦要務令及び孫子を応用した戦いであった。警察よ、以て冥すべし。願わくば刑事全員に作戦要務令各条文及び孫子の再教育を実施し、狡猾なる悪人及ぴ凶悪犯人を逮捕し以て善良なる市民を防衛すべし.珂々大笑。